「あぁ、この小唄も岡野知十作詞、吉田草紙庵作曲なんですねえ、」
(小唄黄金期の名コンビです)
と申し上げると、師匠から、この二人といえばあの小唄もだわね、あれ、ほら、あの、
他にもたくさんあるので、あれ、ではさすがにわからなかったのですが、
「向島の百花園で、ほら、みんなで集まって、虫の音色?
いや、違うな、
拍子木の音だったから、、うーん、あ、そうだ水鶏だ」
いや、違うな、
拍子木の音だったから、、うーん、あ、そうだ水鶏だ」
向島の百花園が出てくる小唄はいくつかありますが、あれですか、これですか?と一応伺いますが私も言いながらなんだかしっくりきません。
「お師匠さん、私その小唄知らないのかもしれません
(がーん。なんとも悔しい)。。」
(がーん。なんとも悔しい)。。」
「あらやだ、そんなことないわよ絶対」
師匠は今年89歳になられますが、かなり頭と記憶の冴え渡るかたです。
そう仰られるとそうなのかもしれない。けれど百花園で水鶏をみんなで聞くなんて小唄あったかしら。。
「あ、そうだわ。だまされて、だわ!」
突如思い出されて師匠うれしそう。よかった。。
え、「だまされて」?
…あ、そうだ。確かに水鶏が出てくる。。
がーん。知ってた。でも百花園なんて出てきませんけれど、、
「はー、すっきりしたわ。あのね、みんなで百花園で水鶏を聞く会っていうのを催してね…」
帰宅してよく調べましたら
バイブル |
水鶏を聞く会、なんて虫や蛍をあらかじめ放った会と違ってそうそううまく水鶏が鳴くはずもなく、
こちらが水鶏(クイナ)です。鳴き声は戸を叩くような音から「叩く」なんて表現します。 |
あらかじめ水鶏役の男性を雇い、草むらにかくれて頃合いを見て小さな拍子木でチョンと叩いて鳴き声のように聞かせる、という仕組みになっていました。
しかし、肝心のこのかたがお酒に酔って眠ってしまいまして、驚いて起こして慌ててめちゃくちゃに叩いたので水鶏の鳴き声には聞こえるはずもなく、、
というご愛嬌で賑わった会のことを詠んだ句から小唄になったようでした。
小唄の洒落のきいた世界が、現代ではわからなくなっている習慣のこともあるので、
私も歌詞の意味だけでなく調べたり本を読んだりするのがわりと好きだったのですが、
この小唄は初めて見たときに、なんとなく男女の仲の話だけだと勝手に思い込んでしまって背景を調べもしなかったようでした。しかもなんともせつないメロディの印象なのも手伝って、、(という言い訳)
もちろんそうとれるように上手にできている小唄になっているのでしょうが、こんなサイドストーリーを聞くと一層面白く思えますよね。
私がもしこんなエピソードから小唄を作ろうとしたら
百花園、とか、拍子木が、とか、
わかりやすいものを歌詞にもりこんでしまいそう、、
こういう話が土台にありつつ、やんわり煙に巻きながら面白い小唄を作るセンスって本当におしゃれですてきですね。。
あー道のりがまた果てしなく遠く感じました。。
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