2016年3月18日金曜日

柳橋ふたたび。



4月3日夜にお弟子さんがたとゲストの方々とで屋形船のお花見の小唄会をする予定にしておりまして。お世話になる船宿さんに様子見がてら打合せに行きました。ああ、いい風景ですね。。

柳橋から浅草方面に出て、途中停泊して小唄をご披露いただくのですが、
揚げてもらう江戸前の天ぷらのほか
小さいころから私が慣れ親しんだ魚熊さんのお刺身を出してくれるみたいで個人的に盛り上がってしまいました。(食べもののしんぱいばかりしている)

この調子だと桜はひょっとしたら終わってしまうかもかしら、、
春を唄って楽しい会にしたいです。

ご覧のみなさんも、もしご希望でしたらぜひ!

2016年3月10日木曜日

思い込みとは。


師匠のところで、とある小唄をお稽古していただいていました。

「あぁ、この小唄も岡野知十作詞、吉田草紙庵作曲なんですねえ、」
(小唄黄金期の名コンビです)

と申し上げると、師匠から、この二人といえばあの小唄もだわね、あれ、ほら、あの、

他にもたくさんあるので、あれ、ではさすがにわからなかったのですが、

「向島の百花園で、ほら、みんなで集まって、虫の音色?
いや、違うな、
拍子木の音だったから、、うーん、あ、そうだ水鶏だ」

向島の百花園が出てくる小唄はいくつかありますが、あれですか、これですか?と一応伺いますが私も言いながらなんだかしっくりきません。

「お師匠さん、私その小唄知らないのかもしれません
    (がーん。なんとも悔しい)。。」

「あらやだ、そんなことないわよ絶対」

師匠は今年89歳になられますが、かなり頭と記憶の冴え渡るかたです。

そう仰られるとそうなのかもしれない。けれど百花園で水鶏をみんなで聞くなんて小唄あったかしら。。

「あ、そうだわ。だまされて、だわ!」

突如思い出されて師匠うれしそう。よかった。。
え、「だまされて」?
…あ、そうだ。確かに水鶏が出てくる。。




がーん。知ってた。でも百花園なんて出てきませんけれど、、

「はー、すっきりしたわ。あのね、みんなで百花園で水鶏を聞く会っていうのを催してね…」

帰宅してよく調べましたら

バイブル

水鶏を聞く会、なんて虫や蛍をあらかじめ放った会と違ってそうそううまく水鶏が鳴くはずもなく、

こちらが水鶏(クイナ)です。鳴き声は戸を叩くような音から「叩く」なんて表現します。


あらかじめ水鶏役の男性を雇い、草むらにかくれて頃合いを見て小さな拍子木でチョンと叩いて鳴き声のように聞かせる、という仕組みになっていました。
しかし、肝心のこのかたがお酒に酔って眠ってしまいまして、驚いて起こして慌ててめちゃくちゃに叩いたので水鶏の鳴き声には聞こえるはずもなく、、

というご愛嬌で賑わった会のことを詠んだ句から小唄になったようでした。

小唄の洒落のきいた世界が、現代ではわからなくなっている習慣のこともあるので、
私も歌詞の意味だけでなく調べたり本を読んだりするのがわりと好きだったのですが、

この小唄は初めて見たときに、なんとなく男女の仲の話だけだと勝手に思い込んでしまって背景を調べもしなかったようでした。しかもなんともせつないメロディの印象なのも手伝って、、(という言い訳)

もちろんそうとれるように上手にできている小唄になっているのでしょうが、こんなサイドストーリーを聞くと一層面白く思えますよね。

私がもしこんなエピソードから小唄を作ろうとしたら
百花園、とか、拍子木が、とか、
わかりやすいものを歌詞にもりこんでしまいそう、、

こういう話が土台にありつつ、やんわり煙に巻きながら面白い小唄を作るセンスって本当におしゃれですてきですね。。

あー道のりがまた果てしなく遠く感じました。。


2016年3月5日土曜日

柳橋へ

みなさまお元気でしょうか。
気がつけば確実に春の足音が。

今日は打合せに懐かしの地、柳橋へ参りました。

柳橋の拾い画です。

柳橋といえば、かつて東京随一と謳われた花街。
いまは料亭も見番もなくなってしまい、街も様変わりしましたが、
成瀬巳喜男監督の「流れる」をはじめ、数々の映画の舞台にもなりましたね。
小唄でももちろんたくさんうたわれている土地ですが、
何をかくそう、千紫の家元、千紫千恵も元は柳橋の芸者だったそうです。

とここまで書いておいてさらになんですが

そして、わたしも(えらそう)生まれ育った土地でございます。

小さいころは政治家の黒塗りの車が行き交うこともあったこの通り。
こちらの通りのつきあたり、隅田川のすぐ手前という
素晴らしいシチュエーションの本日お邪魔した藤間蘭黄先生のお稽古場。
入り口でお弟子さんが待っていてくださいましたが
わたしが撮影していたために引っ込んでくださってしまいましたすみません。。

僭越ながらうちの実家も浜町に越す前はこの通り沿いだったのでした。

通り沿いに柳の木がならび、夏の盆踊りもこの通りを会場として開催されていました。
蘭黄先生のお祖母様はご存知、人間国宝の故 藤間藤子先生。
私は人間国宝という言葉をご近所にお住まいという藤間藤子先生のお名前で初めて知りました。当時とても不思議な言葉に思えたものです笑
そして、お稽古にいらした役者衆もご近所でちょこちょこお見かけしていました。
幼心に、すれ違った澤村藤十郎さんのなんともいえない美しさが印象的でいまでもあの時のことを思い出せます。。

ちなみに蘭黄先生の御宅のお隣は、かの有名な小唄のスター市丸さんのお家でした。
いまは改装しておしゃれな隅田川沿いのギャラリーカフェに。

ですので、その盆踊りでは市丸さんのヒット曲「三味線ブギ」が必ずかかりました。
盆踊り命だった私はこれで育ったので、てっきり全国的に盆踊りのスタンダードナンバーなのかと思っておりましたはい。。

確か小学校の先輩の鳥肉屋さん。焼き鳥が美味しかった。
穴子が異常に美味しい思い出の梅寿司

話がそれましたが、本日は五耀會の先生方と打合せをさせていただきました。その前に、定例の「日本舞踊への誘い」公演がありましたので、
所用で遅れましたが、ちゃっかりそちらも拝見させていただきました。

本日は長唄「松の緑」をそれぞれのご流儀で観賞する、というまた一段と面白い企画でした。

ほっと一息の先生方アフタートーク中

本日の打合せの内容はまた後日こちらでご紹介させていただくことにして、

今日は久しぶりにしみじみと柳橋を歩かせてもらいました。
三味線ブギを一心不乱に踊っていた当時は、自分が小唄の演奏者になるとも、まさか蘭黄先生とご一緒させていただくようになるとも、夢にも思っていなかったので、
人生は何が起こるかわからないものだなあと思いました。


…って他人事みたいでなんかすみません、とにかく精進します!!